背脂チャッチャ

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背脂チャッチャ系とはスープを力強くするため、ラーメン丼の上に豚の背脂をチャッチャッと振りかけたラーメンのこと


出典:Travel Note

背脂チャッチャ系は、スープに豚の脂のインパクトを強めるため、煮込まれて粒サイズ状になった豚の背脂を網に乗せてチャッチャッと振ってラーメン丼に振りかけたものです。白い背脂がラーメン丼上に降り注がれると、丼上に雪が乗ったようなビジュアルになりますね。
ラーメンでは、あげ網で麺を湯切りする際もチャッチャという音が出ますが、背脂を丼に振りかける際はそこまで大きな音は出ません。むしろ、丼上に背脂が拡散していく見た目をチャッチャと表現したように思います。
それでも、言葉にとって語感は非常に重要で、おもちゃのチャチャチャ同様、背脂チャッチャという響きはリズミカルだったので、ここまで人口に膾炙するようになったのでしょうね。

背脂チャッチャ系の歴史

背脂チャッチャ系のラーメン店は、今ではマスコミで見かける頻度こそ下がりましたが、人気そのものは根強いものがあります。実際、背脂チャッチャの有名店には現在でも長い行列ができていることが多いものです。
ラーメンでは脂の旨味がいかに重要なのか、実感できますね。

そんな背脂チャッチャ系の歴史を詳しく調べてみるとルーツは吉祥寺ホープ軒になるようですね。ホープ軒といえば千駄ヶ谷の店の方が知名度は高い気もしますが、ルーツとしては吉祥寺ホープ軒ということになります。

その吉祥寺ホープ軒本舗は、創業者の難波二三夫さんが戦前の1934年に貧乏軒という屋台をを出したのがルーツになるそうです。その後、難波さんは、戦後の昭和23年に阿佐ヶ谷で成華公司という店を開業。中国人が営業しているかのような本格派っぽい名前の演出が茶目っ気のある難波さんらしいセンスですね。
さらに、難波さんは、今のホープ軒につながるホームラン軒を開業し、さらにホープ軒本舗を開業。
このホープ軒本舗も最初は屋台でしたが、商売上手な難波さんは、ホープ軒という屋号の屋台を貸し出すビジネスを展開します。その当時、ホープ軒という名前の屋台は100台以上もあったそうです。
屋台での営業を終えた後、いよいよ今の吉祥寺でホープ軒の店舗で営業することになるわけです。

さて、100台以上あったホープ軒の屋台の店主の1人に、後に千駄ヶ谷ホープ軒を開店する牛久保英昭さんがいました。この屋台は今のようなチェーンではなく、屋台の店主が自分の好きなようにラーメンを作っていたようです。あくまで屋台を借りてるだけの対等な関係で弟子と⇔店子ではなく、お互いに助け合う関係だったそうです。牛久保さんは、最初は内幸町で開業した後、昭和50年に千駄ヶ谷で店舗として開店して今に至ります。
恵比寿にあったらーめん香月、浅草・堀切菖蒲園の弁慶、常盤台の環七沿いにあった土佐っ子などの創業者は、牛久保の屋台時代の弟子。千石自慢は千駄ヶ谷ホープ軒になってからの弟子だそうです。

なお、白い背脂がラーメン丼上にチャッチャと降り注がれるようにしたのは千駄ヶ谷ホープ軒が最初。やはり背脂チャッチャ系のビジュアルの元祖は千駄ヶ谷の牛久保さんなんですね。

背脂チャッチャ系 元祖

背脂チャッチャ系ラーメンの元祖と呼ばれる店は、以下の3店があげられると思います。

まずは、背脂チャッチャを始めた千駄ヶ谷のホープ軒です。開店以来、千駄ヶ谷で営業していて、歴史も古い店です。創業30年という老舗ラーメン店で最初は屋台から始まりました。味も安定していて美味しい1軒です。

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出典:メシ通

2店目は環七土佐っ子ラーメン。一度、閉店してしまいましたが、今は池袋で復活しています。背脂の量の多さから一世を風靡しましたね。


出典:環七土佐っ子ラーメン (トリップアドバイザー)

3店目は恵比寿にあったらーめん香月(今は五反田で営業中)でしょうか?
ここは、バブル時代には大行列ができた店ですが、、2013年には支店も含めて全店が閉店。今は六本木で「らーめん香月が復活して営業しています。比較的、薄味で、恵比寿や六本木の雰囲気には合っていると思います。

出典:ネタとぴ

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