がんこ系

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がんこ系とは創始者の一条安雪氏が開発した牛骨スープのラーメン。看板がなく牛骨がぶら下がっていることでも有名。


出典:食べログ 一条流がんこラーメン総本家

がんこ系ラーメンとは?

がんこラーメンとは、一条流がんこラーメン総本家と創始者の一条安雪の直弟子のみ名乗ることを許されているラーメン店の系統です。
家系ラーメンのように大量の店があるわけではありません。あくまでもマニアックなラーメンなのですが、固定ファンが多いところがポイントだと思います。

がんこ系ラーメンの特徴をまとめると、以下のようになります。

◆スープ
・韓国料理の牛テールスープをヒントに作られた牛骨スープに、魚介系のダシをブレンドした塩分濃度が非常に高いダブルスープ。
・スープに投入する背脂の量を変えることで、あっさり・こってりの味が選べるようになっている。
・スープの温度はかなり熱い。

◆麺
・強く縮れている中細麺。現在のラーメン界で主流の細いストレート麺とは一線を画すタイプ。
・麺の茹で加減はかなり固め。

◆具
・大ぶりサイズのバラ肉ロールチャーシュー2枚、海苔、メンマ、刻みネギ、焦がしネギ(焦がしネギは渋谷にある喜楽の揚げ葱にインパイアされたものらしい)。

◆基本メニュー
・塩ラーメン、醤油ラーメン。

◆特別メニュー(悪魔の日・スペシャル)
・悪魔
家元がいる総本家だけで提供される特別なラーメン。かなり癖が強く、逆に固定マニアも多いもの。非常に塩辛いスープが特徴です。具材は毎回、ちょっとずつ変わります。
通常は毎月1回だけ「悪魔の日」と呼ばれる日に提供されます。

悪魔というメニューは、家元が幼い頃、父親が満州で覚えてきて家族に振る舞っていたラーメンがベース。家元の思い出の味を改良したラーメンということになります。

ただし、塩分が強過ぎるため、かなり身体に良くないということは家元自身も自覚している模様。もともとは週1回のメニューだったところ、月1回まで減らしたのは、常連客と家元自身の健康に配慮したからだと言われています。

・がんこスペシャル
こちらも月1回のペースで開催される「がんこスペシャルの日」というイベントだけで食べられる限定ラーメン。本来ならラーメンに使用しない食材・素材が使用されるのが最大のポイント。どんなラーメンなのかは、当日注文するまで秘密になっています(ただし、一応、事前に大体の告知はされています)。
普通はラーメンでは使わない素材を使うため、一期一会の実験的メニューしか提供されません。素材も高級で珍しいものを使う分、ラーメンの価格も高いため、悪魔以上に一般人には向いていないとされていますが、スペシャルだけを食べにくるマニアも数多くいます。

◆外観
・看板がなく、店の前に牛骨をぶら下げる。
 家元が担う本家は頭部牛骨、暖簾分け店は脚骨(拳骨)をぶら下げています。

・・・このように、マニアックな感じが漂いまくっているのが、がんこ系ラーメンの特長になります。

がんこ系ラーメンが食べられる店

総本家@四谷三丁目 家元が店長の総本山。

あすなろ@尾山台 創業の地、高戸橋で修行後、独立。

クレープBON@福井 土曜のみラーメンが食べられる。

元祖一条流がんこ十一代目
行徳 がんこにしては優しい味。

宗家一条流 がんこラーメン十八代目@なんば ねぎ油かえび油かを選べる。

きくちひろき@熊谷 直系の分家

宗家一条流がんこラーメン八代目直系 町屋店 がんこ八代目直系の市川知明さんの店

盛壱@習志野 がんこ直系二代目

元祖一条流がんこ 西早稲田 正統ながんこラーメンの味

覆麺 智 @神保町 覆面をした二人組が運営

がんこ家元

家元とは、がんこラーメン創業者の一条安雪さんのこと。弟子が独立した際は、〇代目がんこラーメンと名乗ることを許している制度を作ったので家元と呼ばれています。
家元と呼ばれるだけあって本人のスタイルも宗教家のような雰囲気です。
◆スキンヘッドで白髪のひげを伸ばしていたこともあった。
◆服は白のランニングシャツと作業ズボン。首にはタオルをかけている。
◆気さくでよく客と会話する。調理中も豊富な話題で客を引き付ける。

まあ、実際に、がんこラーメンに行って家元と話せば、家元と呼ばれている雰囲気が伝わってくると思います。
ちなみに、家元が厨房に立つ店が、がんこ総本家と呼ばれています。

がんこラーメンの歴史

がんこ系ラーメンは高田馬場は大正製薬前の高戸橋で開店しました。最初はラーメン専門店ではありませんでした。昼は丼、夜はラーメンを売るという二毛作の営業形態だったのです。

開店当時は書き入れ時の昼に丼を出していたぐらいですから丼の方が人気メニューで、ラーメンはイマイチだったようです。
実は、この創業期の夜だけ出していて不人気だったラーメンが、今の悪魔の原型なんですね。
家元が「一般人には悪魔をオススメしない」というのも、かつて失敗したことがあるメニューだからだと思います。悪魔という名前も万人向けではないことを、あえて主張しているような気がします。

このように悪魔の原型ラーメンはヒットはしませんでしたが、ラーメンへの執念そのものが非常に強かった家元は、新しいタイプのラーメンを創作。今のがんこラーメンです。1983年(昭和58年)1/5に、今のがんこラーメンを出す専門店に切り替えるとラーメンが1日に150杯も出る大人気店となりました。

ところが、家元は忙しく仕事をするのが大嫌いなタイプだったので、大人気店なのに、ある日、突然、このラーメン店を閉店してしまいます。

これに驚いて悲しんだのが高田馬場の地元にある早稲田大学の大学生を中心とする数多くの固定ファン。彼らは店の再開を希望する署名を集めて家元に提出する行動に出ます。既に1日に150杯も出る名店だったので、数多くの署名が集まったようですね。

家元の一条安雪も、固定ファンからの数多くのリクエストを意気に感じたのか、店の再開を決心します。
ただし、以前のような忙しさから逃れるため、客数を制限できるよう、会員制の店舗にしたところが家元らしいコダワリでした。

会員制と言っても名ばかりのものではなく超本格的です。常連客の紹介がない限り店には入れない仕組みにしました。現在でも老舗割烹や高級寿司店ぐらいしかやっていない敷居の高い会員制です。
店を紹介する際も、家元は「親族や親しい友人以外には紹介しないで欲しい」と念を押したと言われています。

店舗そのものも、会員制を徹底するため一元客が来ないように工夫しました。看板はつけず、外壁は黒一色で塗りつぶし、窓には黒のカーボン紙を張って目隠しして、何の店なのか、全くわからないようにする設計にしました。こんなラーメン店では今でも、がんこラーメンしかありません。

ただし、この外観だと常連の会員ですら、営業中なのか、閉店後なのか、わからない状態になるため、店の外に暖簾を下げる代わりに、牛骨をぶら下げました。店前に、牛骨が下がっている時は営業中、牛骨が下がっていない時は閉店後だとわかるようにしています。

このように、会員制を徹底して再開したのにもかかわらず、会員数は再開3年後には20000人を超えるまでになり、結局は再開前よりも大行列ができる店に戻ってしまいました。

忙しく働くのが嫌いな家元は、またしても閉店したかったんだと思います。でも、さすがに2万人もの固定ファンが付いた状態では2回目の閉店はできず、一番弟子に店を譲って、店舗そのものは継続して営業させることにしました。

この時点で、一度はラーメン業界から引退した家元でしたが、1992年には青砥にがんこラーメンを出して、この青砥店も大繁盛店にしています。

その後も、風来坊的な感性が強い家元は、内藤町、早稲田、池袋等で店を開いては繁盛させ、繁盛させると弟子に譲るという、独特の行動を繰り返しています。

2019年4月現在は、家元は四谷三丁目に総本家がんこラーメンを開いています。ここでは上品と下品というメニューを提供しています。看板メニューは下品。下品にも純正と不純があって、不純はスペシャルの日に使うスープを元に仕込んだものなので、特に人気があります。

しかし、何度も何度も店を作っては潰してきた家元なので、四谷三丁目の店もいつまで家元が店長を続けるのか、誰にも分からない状態ではあります。

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